神は最大限の豊かさを望んでいる

旧約聖書の神は、豊かさ、豊穣の神です。どれだけろくでもない子(人間)にも許し大いなる富を与えます。旧約聖書の神は、イエス・キリストを導いた神でもありますから、神が人に進んで困難や貧しさを望んでいるはずがないのです。
神は本当は人間一人一人の成功、幸福、豊かさを望んでいます。
大いにお金持ちになっていいですし、幸せになっていいのです。この現代では、幸せになるためには大いにお金が必要なのですから。
「神は清貧を望んでいる」というような考えは、貧しさと乏しさを生み出します。
大いに富を持つことに罪悪感を持つのをやめましょう。
聖書は中世に、お金持ちを特権階級として維持するために書き換えられたそうです。
ですから新約聖書は、みなが貧しく生きてほしいという支配層の意図をもって書かれています。

「でもそれは、聖書つまり、キリスト教やユダヤ教の話でしょ?」と思うかもしれません。

私にとっては、新約聖書の「お金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」というフレーズがどうしても離れなく、それで内面に葛藤がありました。

クリスチャンであり聖職者でもある、キャサリン・ポンダー氏の著書を、原書で取り寄せ(訳書がほとんど出ていなく、また訳書も聖書の記述の部分は確かカットされている)やっと、この呪縛から解放されました。

私の独自の解釈ですが、イエス・キリストが生まれた当時は、貧しい人々が大変多く、イエス・キリストも貧者の英雄にならないといけなかったのではないかと思います。

また上記のように、聖書は、権力者によって書き換えられたという説もあります。

日本の神様に関しても、進んで貧しい生き方をしないさいという教えはないと思います。

「神は私たちの見方であり、解放する者であって、豊かさや大いなる成功、富を与えてくれる、またはそういう生き方を応援してくれる」それが、宗派に関わらず、本来の神ではないかと、私は考えます。

(このテーマに関しては、様々な見方があるので、こういう考え方がある、ぐらいに受け取って下さい。宗教を批判するのが目的ではありません。)